教授たちと新しいデザイン学を考える 『DESIGN AND PEOPLE Issue No.2|他者たちとどう生きるか』刊行記念イベントレポート
- 教育・人材育成
デザインとは何か。デザイナーとはどのような存在なのか。これからのデザイン学に求められることはなにか。
デザインやその対象、そして手法が多くの人々にひらかれるとともに、学問としてのデザインの領域も拡張を続けています。
こうした状況のなかで、これからのデザイン学が生まれる場は美術大学や専門学校に限りません。総合大学をはじめとする学問の場だけでなく、市井で重ねられている実践も、デザインのあり方を問い直し「新しいデザイン学」を構築していく可能性を秘めています。
アカデミアと社会を行き来し、「デザインのデザイン」ともいえる実践を続ける4人の教授たちは、「新しいデザイン学」をどうとらえているのでしょうか。本イベントはコンセントより2025年8月に発行された『DESIGN AND PEOPLE Issue No.2|他者たちとどう生きるか』の刊行を記念して、2025年10月7日に青山ブックセンター本店にて開催されました。
テーマは「教授たちと新しいデザイン学を考える」。『DESIGN AND PEOPLE Issue No.2|他者たちとどう生きるか』の著者陣の中から、2026年4月に新設予定の立命館大学デザイン・アート学部の開設準備を主導してきた八重樫文氏、筑波大学で社会学を教える加島卓氏、多摩美術大学でグラフィックデザインを教える佐賀一郎氏、武蔵野美術大学で芸術文化を教える古賀稔章氏の4名が登壇し、それぞれの視点から「新しいデザイン学」に対しての思いが語られました。
パネリストプロフィール(敬称略)
八重樫 文(YAEGASHI Kazaru)
デザイン学研究者/立命館大学 経営学部教授
武蔵野美術大学助手等を経て、2007年に立命館大学に着任。2026年4月に新設されるデザイン・アート学部、及び研究科の設置準備を主導。社会生活全般におけるデザインの意味と役割を理論的・実践的に研究している。著書として『新しいリーダーシップをデザインする』(新曜社、大西みつるとの共著)など。
加島 卓(KASHIMA Takashi)
社会学者/博士(学際情報学)/筑波大学 人文社会系教授
専門は、メディア論、社会学、広告史、デザイン史。著書に『〈広告制作者〉の歴史社会学 近代日本における個人と組織をめぐる揺らぎ』(せりか書房)、『オリンピック・デザイン・マーケティング エンブレム問題からオープンデザインヘ』(河出書房新社)がある。
佐賀一郎(SAGA Ichiro)
デザイン研究者/博士(美術)/多摩美術大学 グラフィックデザイン学科准教授
専門は近代デザイン史、およびビジュアルデザインとタイポグラフィの理論と実践。監訳・解題にヨゼフ・ミューラー゠ブロックマン自伝『遊びある真剣、真剣な遊び、私の人生 解題:美学としてのグリッドシステム』(ビー・エヌ・エヌ新社)がある。
古賀稔章(KOGA Toshiaki)
視覚文化研究者/武蔵野美術大学 芸術文化学科准教授
タイポグラフィとデザインを軸に研究・実践・批評に携わる。デザイン誌『アイデア』の編集者を務めた後、経済産業省特許庁でデザイン行政に従事し、2022年より現職。訳書にヨゼフ・ミューラー゠ブロックマン『グリッドシステム』(ボーンデジタル)、アーミン・ホフマン『グラフィックデザインマニュアル』(ビー・エヌ・エヌ)がある。
モデレータープロフィール
吉田知哉(YOSHIDA Tomoya)
編集者、クリエイティブディレクター/株式会社コンセント
デザイン誌『DESIGN AND PEOPLE』編集長。Design Leadership部門所属。
編集とメディア戦略支援等に従事。ジョルジョ・マッフェイ『ブルーノ・ムナーリの本たち』、森岡督行『BOOKS ON JAPAN 1931‒1972 日本の対外宣伝グラフ誌』、ヨゼフ・ミューラー゠ブロックマン『遊びある真剣、真剣な遊び、私の人生 解題:美学としてのグリッドシステム』(以上、いずれもビー・エヌ・エヌ新社)、岡秀行『包:日本の伝統パッケージ、その原点とデザイン』(コンセント)など、デザイン関連書を数多く手がける。株式会社森岡書店 共同経営者。
「デザイン・アート学部」に込められた思い
2026年4月、八重樫氏が教授を務める立命館大学には「デザイン・アート学部」が新設されます。八重樫氏は学部および大学院研究科の設置委員会事務局長として、学部の開設を主導してきました。総合大学にデザインを学ぶ学部を新設することのねらい、そして「デザイン・アート学部」という名称に込められた思いとはなんでしょうか。
現代のデザイン学をつくりたい
八重樫:現代のデザイン学というものをしっかりつくりたい。さらにデザイン学に関わるさまざまなキーワードや社会現象の意味を問い直したいと考えています。デザイン・アート学部の最初の卒業生は2030年に誕生するわけですが、その新しい時代にデザイン学というものはどうあるべきなのかを、もう一度見つめ直したいという意図でこの学部をつくりました。
デザインとアートの関係についても考えなければいけないし、美的感性とデザインの位置づけ、社会の中での美的感性の位置づけ、さらには日本や京都の文化とデザインの関係性など、わたしたちがなんとなくわかっているけれどはっきり言語化できないことがたくさんある。それらの意味を問い直したいです。
こうした考えをもとに、新学部は「デザイン・アート学部」と名づけました。また、学部と同時に社会人向けの大学院デザイン・アート学研究科も設置されます。社会に出てからデザインを学ぶ場が少ない中で、学生たちが自分にとってのデザインとはどういうことなのかを考え直し、デザインを研究対象としてスキルを身につけ、キャリアアップする場をつくれたら良いなと思っています。
八重樫 文氏(デザイン学研究者/立命館大学 経営学部教授)
誰もがデザイナーである今、デザイナーとはどんな存在なのか
イベントでは4名の大学教授の観点からデザイン誌『DESIGN AND PEOPLE』の感想をはじめ、デザインが広く浸透した時代におけるデザインとは何か、そしてデザイナーとはどのような存在なのかについても意見が交わされました。
デザインは一枚岩じゃない
古賀:『DESIGN AND PEOPLE』は、いろんな立場の人を言語活動へと引っ張り出していくメディアだと思います。オートエスノグラフィ的に自分自身について語るような人もいれば、もっと広い視点から社会のことや職業のことを捉え直すように語る人もいる。この雑誌の中にいろんなグラデーションがあります。その中で、デザイナーやデザインの定義が今とても拡張していて、デザインは一枚岩じゃないということも立ち上がってくるんですね。
でも、じゃあ「デザインってなんだろう」って話を始めるとだいたいうまくいかない。現代のデザインは旧来のモダンデザイン的な捉え方の中では収まらない。わたしはそうではなくて、じゃあ「デザイナーとは何か」という視点から問い直してみようかと思っているんです。
もしかしたら自分はデザイナーではないと思っている人でも、実は生活の中でデザインをしているかもしれない。例えば日常の中で気になることを観察して言語化したり、何かの工夫をしてより良い日々の生活を営めるように組み替えたり。そういうデザイナーの営みや役割を、八重樫先生はどう捉えているんですか。
古賀稔章氏(視覚文化研究者/武蔵野美術大学 芸術文化学科准教授)
デザインという言葉でしか表せないスキルとは何か
八重樫:「デザイナーとは何か」というところから考えることには賛成です。ただ、デザインは定義が先にあるのではなくて、わたしたちの日常の振る舞いや、活動・行為の中から「これがデザインだよね」ということが導かれるはずです。
かつて近代にはデザインのあり方や、社会形成という目的がトップダウン形式で決められ、デザインも同じくトップダウンで社会に浸透してきました。しかし今わたしたちはデザインが広く浸透した時代に生きています。さまざまな職業や活動の場でデザインが使われて、そこからまたデザインのあるべき姿がアップデートされていく。
だからわたしは総合大学にデザインの専門教育の場をつくろうと考えているんです。デザインという言葉でしか表せないスキルやその社会的な位置づけはなんなのか、組織的に考える場をつくりたい。いわゆるプロフェッショナルなデザイナーやアーティストに限らず、さまざまな職業でデザイン態度を発揮できる人を送り出していきたいです。
可視化されないデザインのプロセスをどう身につけるか
加島:わたしは筑波大学の社会学類でデザインをめぐる社会問題を研究対象にしています。なかでも、デザインが社会問題になったときにデザイナーがデザインについてどのように説明するのかという点に興味があります。わたしの2冊目の著書『オリンピック・デザイン・マーケティング:エンブレム問題からオープンデザインへ』ではまさにその問題、つまり盗用が疑われ、市民に広く説明が求められたオリンピックエンブレムの問題をとりあげました。
社会の中で誰からも批判されない表現というのはないと思います。どんな制作物もプレゼン次第で見え方はどうにでも変わりますし、デザイナーの意図通りに受け手に理解されないこともあります。社会におけるデザインへの理解を深めるためには、デザインと言葉は強く結びついていると考えたほうがよさそうですね。
デザインが社会問題になったときには、デザイナーにも説明が求められます。でも、その説明が思ったようには受け取られないこともあります。わたしとしては、こういう状態であっても、デザイナーの心が折れてしまわないようにしたいんです。たとえば、デザイナーが強く説明責任を求められたときに、強い作者性を持ち出して苦労して説明するよりは、弁護士のような人とチームを組んで説明してもらった方がその職業を守れるし、造形性に関しても一般の人にもっと届くような説明ができると思います。
加島 卓氏(社会学者/博士(学際情報学)/筑波大学 人文社会系教授)
古賀:加島先生のお話を聞いていて、デザインには物質的・造形的な部分と、非物質的なコミュニケーションのような部分の両方があると思いました。中でも言語活動、つまりコミュニケーションの部分がデザイナーの仕事の大半を占めているのではないでしょうか。
デザインが形になる前のプロセスが可視化される機会があまりない中で、実際にデザイナーが行っている言語活動や言葉に関わる部分を、教育現場の中でどのようにリテラシーとして身につけていけるのかが課題です。
美的感性が果たす役割とは
佐賀:デザインって定義が難しいというのは僕も本当に思っているんですよ。それをあえて学生に押し付けるようなこともしたくないし、縛りつけるのも嫌なんですけど。でも、例えばデザインを技術として捉えるなら、デザイナーになるということは専門的な技術を習得して使いこなすことだと思うんです。技術の習得や、自分の表現を悪戦苦闘しながら身につけていくことの重要性が減るなんてことはあるのかなと思いますね。
八重樫先生は『DESIGN AND PEOPLE Issue No. 2』の対談の中で、「デザイン・アート学部」の名称に「アート」を入れることによって、アートのような美的感性も大事にしていきたいとおっしゃっていました。そうした感性の重要性が、社会問題や言説としての説明責任を果たすこと以外にどのように残存していくのか。そこがとても気になるところです。
というのもモダンデザインの勃興期においては、美的感性が歴史的・社会的に果たす役割が明確に見えた。それが今は非常に見えにくいのがすごく苦しいんですよね。美大では、美的な感性が本当に新しいものや未知のものを発見する感性を育てるのだという暗黙の前提があります。ただそれがどう社会につながっていくのかというところは──自分でも無責任なようで嫌になることがあるんですけど──やっぱり見えないところなんですよね。
八重樫先生は「アート」という言葉に集約されることを、どういう意図で残したのでしょう? 造形性という観点も含めてお話ししていただけますか。
佐賀一郎氏(デザイン研究者/博士(美術)/多摩美術大学 グラフィックデザイン学科准教授)
八重樫:デザイン・アート学部では、美的感性と直接体験を重視しています。佐賀先生がおっしゃったように、美的感性は直接体験、つまり自分で体験しないと身につかないものだと思っています。
技術を身につけることや、何かに没頭することを抜きにしては美的感性は生まれません。そもそも美的感性は主観的な感性であり、誰かに「これが美しいよね」と言われても、自分が美しいと感じなければ美しいとは思えません。他の人にどれだけ「これは素晴らしい」「美しい」と言われても、自分の中にそう思う感覚がなければそれは美しいものではないわけなので。そう考えると、自分がどれだけ直接体験をしているかが重要になる。そういう意味で、デザイン・アート学部では直接体験を非常に重視したいと思っています。
わたしはデザインの対象やデザインを学んだ人たちが活躍する場を、これまでのデザイン教育と切り離すのではなく、接続する形で広げていきたい。そのような学部をつくりたいと考えています。
統合知としての「新しいデザイン学」
『DESIGN AND PEOPLE Issue No.2』編集長であり本イベントでモデレーターをつとめた吉田知哉(コンセント)は、書籍としての『DESIGN AND PEOPLE』と今回のようなイベントの企画・編集に、統合知としての「新しいデザイン学」に対する思いを反映させたと言います。
吉田:今回のイベントの告知文には「科学も芸術も、哲学もひとつに含みもつ学問としての『新しいデザイン学』について語り合います」と書きました。「科学も芸術も、哲学もひとつに含みもつ学問」という箇所は、向井周太郎先生の著作『デザイン学 思索のコンステレーション』からの引用です。
デザインは美術・工芸、工学、ビジネスなどさまざまな方向からのアプローチによって発展し、浸透してきました。これらがようやく全部整ってきて、今は「統合知としてのデザイン学」を考えるタイミングだと思います。現代の複雑化した社会問題は総力戦で向き合わないと何事も進まない。デザインを生活に実装するためには、それぞれのアプローチの優劣を考えるのではなく、どのアプローチも全部必要であり、もっと統合されていかなければならないはずです。
しかし教育の現場でも、仕事の現場でも、それはなかなか難しいのが実情です。そこで『DESIGN AND PEOPLE』の出版活動では、それぞれの距離、またそれぞれに関わる人の意識の中での距離を少しでも縮めていきたいと考えています。教授たちが取り組んでいる「新しいデザイン学」は、次世代に向けてその嚆矢になっていくと思うので、デザイン教育の現在というテーマはずっと取り扱っていきたいです。
吉田知哉(編集者、クリエイティブディレクター/株式会社コンセント)
おわりに──ふぞろいなままで編むということ
『DESIGN AND PEOPLE Issue No.2』の副題は「他者たちとどう生きるか」。わたしはこの副題を初めて見たとき、小さな違和感を覚えました。
「他者」ということばはよく見たり聞いたりするけれど、複数形の「他者たち」という使われ方はあまり見たことがなかったからです。「他者とどう生きるか」ではなく「他者“たち”とどう生きるか」。あまり耳馴染みのないこのことばを副題として掲げた本書は、多様なキャリアや考え、価値観をもつ筆者によって紡がれたことばが、無理にわかり合おうとしたり変わろうとしたりすることなく、そのまま織り込まれたテクストでした。
デザインはさまざまな他者との関わりによって初めて意味を帯びるものです。その例として『DESIGN AND PEOPLE Issue No.2』には、ところどころに大阪・関西万博の話題が登場します。万博を有意義なものにしようと奮闘する人、政治の観点から厳しい眼差しを向ける人、現場で複雑な心境を抱える人。著者たちは対談や執筆を通し、多面的で流動的な「万博」という生き物について、ときには瞳を輝かせて、またときには繊細にことばにしています。
今回のイベントでも、より多くの人や場にデザインがひらかれていくことに対する希望とともに、デザインの専門教育を受けた人々のもつ技術や感性の意義が、有用性や即効性を善とする価値観の中で見えづらくなっていくことに対する懸念が語られました。デザインをより広くひらいていくことと、デザインのプロフェッショナルがもつ技術や知識に対する価値を高め続けること。2つの矢印は一見反対の方向へ伸びているようにも思えます。しかしそれらは決して対立する動きではなく、デザインの新たな価値が生まれていく契機でもあります。
複雑なことを複雑なまま、わからないままことばにしてみる。デザイン態度を体現するかのように、『DESIGN AND PEOPLE Issue No.2』は人々のことばを強引に1つの答えに導くことなく編んでいます。語り手それぞれの、濃淡があったり揺れ動いたりする血の通ったことばのもろさを押しつぶすことなく、そのまま編みこんで1つのテクストが出来上がっているのです。「他者」という語は単数形でも、そこに存在する「他者たち」の経験はかぎりなく複数形なのです。
立場も価値観も視点も違う「他者たち」のことばが織り込まれたテクストは、織物の布地で例えたら途中から糸の色や素材が変わっていたり、ちょっとでこぼこな部分があったりするのでしょう。「編集」によってその違いやでこぼこに手を加えて、まっすぐで筋の通ったテクストをつくり出すことも可能です。むしろ書籍として、1つのプロジェクトとして、ある程度方向性やイデオロギーを固めた上で進めていく方が、圧倒的にわかりやすいし、効率もいいはずです。しかしあえてでこぼこやザラザラや、糸の掛け違いを含んで丁寧に編み込むことで、受け手の手のひらの上には、何回も撫でたり、また見返したりしたくなるテクストがひろげられているのではないでしょうか。
「他者たち」の副題に対する小さな違和感すらも、多層な声から成り立つテクストの中へと人々をいざない、ことばのバトンリレーを続けたくなるひとつの小さな「引っかかり」だったのだと思います。
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