新人デザイナーの可能性をひらく書籍対談(5)『ハーモニー』編

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    澤木清香デザイナー

コンセントの代表取締役社長の長谷川敦士と新卒1年目社員が1冊の本をテーマに対談。本から得られた気付きを通して、それぞれのデザイン観やデザインへの思いを語り合います。

メインビジュアル。代表の長谷川と、澤木が対面で話している様子。

澤木清香(写真左)
デザイナー

武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン学科卒業。在学中はプロダクトデザインを中心に、サービスデザイン、ブランディング、家電デザイン、UIデザインなど幅広い分野で制作を行い「モノ」と「コト」のデザインを学ぶ。2023年、コンセントに新卒入社。主にサービスのUX設計やアプリケーションのUI設計に携わる。

長谷川敦士(写真右)
代表取締役社長/インフォメーションアーキテクト

東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。「わかりやすさのデザイン」であるインフォメーションアーキテクチャ分野の第一人者。2002年に株式会社コンセントを設立。企業ウェブサイトの設計やサービス開発などを通じて、デザインの社会活用、デザイン自体の可能性の探索を行っている。

書籍紹介

『ハーモニー』伊藤計劃著|2014年8月刊行〔新版〕|早川書房出版
「ハーモニー」の書影。

21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア”。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した――
それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、ただひとり死んだはずの少女の影を見る――
『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。

Cover Illustration シライシユウコ、Cover Design 岩郷重力+Y.S/R.M
出典:早川書房「Hayakawa-Online|ハーモニー」
「ハーモニー」オフィシャルページ(閲覧日:2024年1月10日)

1. 体験を共有するからこそ、見える世界

長谷川:『ハーモニー』は、「大災禍」と呼ばれる世界規模の混沌から復興した後の世界を舞台にした、SF小説でしたね。極端な健康志向と社会の調和を重んじた、超高度医療社会の様子が描かれています。澤木さんはこの小説を読んでどうでしたか?

澤木:読み終わった時、寒気を感じました。もっと世界をより良い方向へ、暮らしやすい社会へと目指した、進化の行き着く先が、この小説のようにバッドエンドになってしまうのではないかと……。予見されている最悪の未来が、小説を通して示されている感覚になりました。

長谷川:小説では、世界中で起こった「大災禍」の反動で超高度医療社会に移行していったわけですけれど、われわれでいう新型コロナウイルス感染症の流行(2020年以降)や、現在世界各地で続いているいくつかの紛争(2023年時点)を考えれば、同じようなことになってもおかしくないですよね。

澤木:はい。どれほど近い未来なのか、考えさせられました。特に印象的だったのが「私たちは皆、世界に自分を人質として晒している」というせりふです。その世界では、インターホンを押す際にも、自分のアイデンティティや生き方を完全に公開しなければならない状況が描かれています。

この小説で「プライバシー」という言葉は、やや異質な意味をもっていると思いました。現実世界で「プライバシー」といえば、自己を守るための盾のような存在ですよね。でもこの小説では、その概念が完全に逆転している。それが私には新鮮で、想像をかき立てられるものでした。

澤木が話している様子。

長谷川:そうですね。その辺りの感覚も、作者の伊藤計劃氏は丁寧にくみ取っていますよね。

澤木:SF小説を読むのは今回が初めてで、小説だけど現実のようなリアルさがあり、自然と180度違う世界をシミュレーションしていました。この感覚がSF小説を読む醍醐味なのでしょうか?

長谷川:SF小説の楽しみ方自体は、他にもいろいろあります。今回の小説は、デザインでいうところの「スペキュラティブデザイン」に類似していますね。澤木さんは「スペキュラティブデザイン」とは何か、知っていますか?

澤木:はい。未来においての問題提起型デザインアプローチですよね。問題を解決するのではなく、異なる未来の可能性を視覚化して、人々にそれらの未来を体験させ、議論を促進させるような。

長谷川:そうです。多くのSF小説の作家たちは、重要なテーマを伝える際、未来の設定や架空の世界をつくり上げるということをしています。

この小説も、日常とは異なる設定を用いることで、読者に対する問いかけをより強調している。私はこういった作品も、ストーリーテリングの手法を使ったスペキュラティブデザインの一例だと思っています。つまり、小説という娯楽作品(エンタメ)のようでありながらも、実質的にはスペキュラティブデザインの要素を含んでいるということ。

だからある種のスペキュラティブデザインである小説や映画は、体験を共有するための型みたいなもので、これを読んで体験を共有するからこそ見える世界がある。そういった一種の装置みたいな感覚があると思っています。

澤木:乗り物のような感覚ですね。今の話を聞いて、私たちデザイナーもSF小説の作家たちと同様のアプローチをしているのでは、と感じました。

私たちが行うデザインプロセスでも、まずアイデアを具体的なプロトタイプに変えて、ユーザーが製品やサービスを利用するシチュエーションを先取りして想像してみることがあります。そのシミュレーションによって、デザインの対象に対するより深い理解や新しい発見が生まれる。そこから、開発チームやクライアントと認識をそろえたり、改善アイデアを議論したりしていますよね。そのように普段から実践していることも、実はスペキュラティブデザインの一部なのだと気付かされました。

ハーモニーの書籍を置いた机。

2. 自由な思考は「自由」ではないのかも

澤木:コロナ禍の経験を振り返って感じることは、私たちが法律や権限の有無にかかわらず、他人にマスクの着用を求め、健康を守ることを強いていたということです。インターネットで、電車内でマスクをしていない人に対して他の乗客が「マスクをしろ、降りろ」と言っている動画を見た時、私も無意識にマスクをしていない人が間違っていると思っていました。そういった大きな同調圧力が、この小説の世界とよく似ていて。あの頃私たちは、実はとても恐ろしい状況にいたのではないかと思います。

長谷川:確かに。小説で描かれていたのは、多くの人が善意と思っている行動や、穏やかな優しさの中で、互いを見守り、管理するような世界。そんな小さな善意の積み重ねが恐ろしい世界を生み出す可能性があるというのは、この小説の重要な論点の一つでしたね。

一方で「人間の自由意志とは何か」というテーマも、この小説では扱われていましたね。自分たちが自由だと思っていることは、本当に自由なのか……。このようなテーマは、新たなアイデアやデザインを生み出す時にも関わってくる重要な観点だと思います。

澤木:「人の意志」と「デザイン」の関わりですか?どういうことでしょうか。

長谷川:この小説の中の人々は、管理されることが当たり前となり、自分たちの状況に疑問をもたなくなっています。例えばこれを私たち自身に置き換えてみると、国や会社などの組織単位で当たり前だと思っている価値観も、外部のコミュニティから見れば違和感をもたれるかもしれない……。考え始めるとキリがない話ですが(笑)

このようなことを考え続けることが、新たなデザインを生み出す上で必要なことだと思っています。「自分が自由に思考やアイディエーションをしているつもりでも、実は特定の価値観や思考の範囲内の話に過ぎない」という意識をもつことは、思考の範囲外に落ちていたデザインの種を見つけるきっかけになります。

長谷川が話を聞いている様子。

澤木:なるほど、自分自身にも疑いをもつということですね。全く新しいアイデアやデザインの種は、当たり前に感じていた思考を疑い、抜け出してこそ見つけられるもの。広い視野というよりも、今までもっていなかった新しい視点をつかむような印象を受けました。私も、常にそういった意識をもちながら、デザイナーとして成長していきたいです。

3. 「帰結」までをデザインする義務

長谷川:小説に登場する科学者と同じく、私たちデザイナーも常に良い結果を目指して取り組んでいますよね。でも、時にはその目的を完全に達成できないこともある。意図をもって行われるデザインが、必ずしも理想的な結果に結びつくわけではない。

もしこの小説のように、デザインを追求した結果が、冷たく感じられるような世界になるとしたら、私たちは何を目指すべきなんでしょうか?

澤木:そうですね……。私は、私たちデザイナーには「『帰結』までをデザインする義務」があると思いました。

長谷川:ほう、具体的に教えてください。

澤木:私は、この小説の科学者たちと同様に「社会を良くしたい、貢献したい」という単純な願いをもって、大学で学び、デザイナーになりました。しかし、彼らは結果として世界を破壊する原因となってしまった……。この小説を読んで、自分と彼らでは何が違うのだろう?と、深く考えさせられました。

「社会を良くしたい」という私のデザイナーとしての判断が、望まない結果になる可能性もある。例えば昨今取り沙汰されているダークパターンのように、意図せずユーザーを欺いていたり、操作を誘導していたり。その結果、長期的に信頼を損なってしまうかもしれない。それならばどうすべきか。

小説の科学者たちは理想を追求し、それが思い通りでない結果になった時に責任を放棄しました。でも私は、結果に対して責任放棄をしたくはありません。それが、私と彼らの大きな違いです。デザイナーはどんな時も、考えや理想をカタチにする過程で、その結果がどうなるかを考慮すべきだと思います。望まない結果が含まれる可能性があっても、その結果を含めてデザインし、クライアントや社会に対して責任をもって提示することが、私たちの義務だと考えています。

澤木が話を聞いている様子。

4. 混沌を許容し、その中で気付きを促す

澤木:長谷川さんのお考えも聞いてみたいです。この小説を通してデザイナーの役割はどんなことだと思われますか?

長谷川:まず一つの考え方として、世界はある種の混沌が必要であることを前提として、デザインに向き合うこと。2つ目は、デザインしたものの先にある気付きを促すこと。これらがデザイナーの役割として挙げられると思ってます。

澤木:詳しくお聞きしたいです。

長谷川:まず科学者たちのように、短視眼的に「今を改善しよう」という考え方を積み重ねると、世界が傾くのはよく考えれば当たり前のことなんですよね。この小説で描かれているのは、一見すると個々が尊重されているが、実際にはトップダウンで決められた大きなルールによって、結局は全体主義的な傾向が表れてしまうということ。

澤木:確かに。皆が同じ方向を向いているからこそ、全体主義の社会が出来上がっていましたね。

長谷川:そこに対する一つの考え方として、世界にはある種の混沌が必要だと僕は思っています。混沌とは、恐ろしい意味ではなく、多様性のある状態を指します。

この小説で描かれているように、テクノロジーによって一見理想的な世界が実現されても、最終的には多様性の欠如が原因でバグが生じ、終わりを迎えていますよね。多様性の欠如は、トラブルに対する脆弱性を生むということ。

だからこそ、コンセントでも発信している「Design by People」に通じるように、個々が自分の頭で考え、行動することが重要だと思います。たとえ意見がバラバラであっても、その多様性が人類にとって、さらにデザイナーにとって、必要不可欠だと感じています。

澤木:では、2つ目の「気付きを促すこと」とはどういったことでしょうか?

長谷川:この小説を読んで、僕自身も多くのことに気付かされました。そのようにデザイナーの仕事は、単にデザインされたものの機能や役割を伝えるだけではなく、ユーザーに何かを気付かせたり感じさせたりする、多次元的なコミュニケーションを行う必要があるということです。

僕自身もデザイナーとして、単に自分のメッセージを伝えるのではなく、伝えるべき内容を自分なりに噛み砕いて、それを小説のような一連の体験に転化させて伝える仕事をしなくてはいけないと、常に自分を戒めています。

長谷川と澤木が机を囲んで対話している様子。

写真/今井駿介

最後に

『ハーモニー』を通して、現代と全く違う、別の世界を経験したからこそ見えてくる気付きが、自分の思考の幅を広げていることを、対談を終えてより感じています。デザインとは全く別次元のものだと思っていたSF小説が、こんなにも絡み合って通じ合う部分が多いとは考えもしませんでした。また一歩、私の価値観を広げてくれたこの機会に、感謝したいです。

また、この小説のように、多層的なメッセージを発信するデザイナーでありたいと強く思いました。どうしても、目の前のことばかりに囚われてしまいがちですが、日々新しい出会いを重ねて、柔軟な思考と新しい視点を掴み、一歩ずつ自分の価値観をアップデートしていきたいと思います。そしてこれから、思考の外に落ちている「デザインの種」を、より多く拾っていきたいです。

[ 執筆者 ]

コンセントは、企業と伴走し活動を支えるデザイン会社です。
事業開発やコーポレートコミュニケーション支援、クリエイティブ開発を、戦略から実行まで一貫してお手伝いします。

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