人間とテクノロジーの架け橋としての情報アーキテクチャ Information Architecture Conference 2025 総括レポート
- サービスデザイン
- UX/UIデザイン
2025年4月29日から5月3日(日本時間:4月29日〜5月4日)の期間にフィラデルフィアで開催されたInformation Architecture(IA)の国際会議「Information Architecture Conference 2025」(IAC25)。
コンセントからは例年参加している代表取締役社長/インフォメーションアーキテクトの長谷川に加え、今年はデザイナーの川と野津も現地参加し、水藤が発表用ポスター作成のサポートを行った。本記事では、カンファレンスでのトピックを総括しつつ、現場の雰囲気もお伝えする。

概要
国際的なIAに関する国際会議IAC25が、2025年4月29日から5月3日の日程で米フィラデルフィアにて開催された。会期中の前半2日間はワークショップ、後半3日間はシングルトラックのセッションが行われ、日本からは計5名、そのうちコンセントから筆者を含めた3名が参加した。
カンファレンスの会場は、アメリカ独立の地フィラデルフィアにあるArch Street Meeting House。2世紀以上にわたって人々の集いの場として親しまれてきた煉瓦造りの建物である。歴史と対話が折り重なる空間のなかで、今の時代を見つめ直すようなセッションに参加できたことは、とても感慨深い体験だった。

今年のテーマは、「Information Architecture – The Bridge Between Humans and Technology(情報アーキテクチャ:人間とテクノロジーの架け橋)」。
キーノートでは、コーネル大学のフェイクニュースやユーザー生成コンテンツ(UGC)の専門家のClaire Wardle氏より、情報環境の汚染による分断について語られた。#DYOR(Do Your Own Research:自分のリサーチをせよ)と銘打たれたムーブメントによって起こっている現象を批判的に読み解き、陰謀論コミュニティやネット文化が「参加型」「共感的」「ストーリー重視」「ビジュアル重視」といった特徴を持ち、当事者意識・連帯感を強く持ったコミュニティ形成が行われていることを指摘した。
セッションは、シングルトラック。20分(トーク)+10分(議論)セッションが基本パターンで、さらに短い形式のライトニングトークがいくつか挟まれた。この長さへの統一は今年初めてではないかと思われる。もうちょっと聞きたい、と思わせるものもいくつかあったが、シングルトラックだとこの長さでいろいろなトピックを把握するというかたちになるという意味ではアリなのかという感想を持った。初日の夜には2時間のポスターセッション、2日目夜には恒例のカラオケとゲームナイトが行われた。
トークセッション全体を通して
興味深いトピックはいくつかあったが、全体としては、IAのこれからの可能性、AIを取り込みつつあるウェブサイト開発におけるIA、IAのキャリアデザイン、IAとナラティブ、コンテンツストラテジー、大規模サイトでのタクソノミーマネジメント、といった内容が見られた。ナラティブ(属人的な物語り)を情報設計にどのように取り込むのかといったトピックは多く語られていた。また、意外に?タクソノミーマネジメントについてのトピックは多かった。そして、かなり実用的と言えるコンテンツマネジメントを企業戦略とどのようにリンクさせるか、コンテンツROIの考え方といったコンテンツストラテジーにも多くの時間が割かれていた。
ナラティブと最適化のはざま
興味深かったのは、Eric Harrison Saltz氏によるNarrative-Driven IA: Designing Connections To Enhance User Experiences(物語主導のIA:ユーザー体験を向上させるコネクションのデザイン)というセッション。ここでは、古今東西の物語構造の紹介からはじまり、そこからのナラティブドリブンデザインのフレームワークを提示、加えてECサイトでの実例まで紹介していた。さらに質疑ではダークパターンになりうる倫理的な視点や、感情的な要素が薄いプロジェクトでのナラティブアプローチの可能性などについても論じられ、注目度が高いプロジェクトとなった。来年(IAC26)にも続きが報告されるようで個人的にも楽しみ。
また、Andy Fitzgerald氏のOrchestrating the Mundane: Deskilling Language Models for Practical Outcomes(日常の業務を最適化:実用的な成果に向けた言語モデルデスキリング)と銘打たれたセッションも興味深かった。IA業務に関わらないが、コンテンツのタグ付けや分類スキームの適合性検証などの「人手でやるには多過ぎるが、機械学習を使うには小規模すぎる"複雑な中規模システム"」に焦点を当て、言語モデルのデ・スキリング(De-Skilling)に着目し、その実践方法を披露した。これはコンセントでもやってみたい。

Eric Harrison Saltz氏の発表の様子
キーノートからして課題提起的なものであったが、カンファレンス全体も多様で、バラエティに富んだものだった。コミュニティ全体で向上していく意欲や活発なコミュニケーションが見られ、もう25年近くIAC(旧IA Summit)に参加しているが、まだまだ刺激を受けるコミュニティであり続けているのは参加者としてうれしい限りであるし、これからも関与していきたい。
ポスターセッション:ビジネスと法律の非対称なユーザー理解
コンセントからは、「The Asymmetry of Assumptions Between Business and Law: How It Fuels the Rise of Dark Patterns」と題して、ダークパターンがそもそも起こる根本的な原因とも言える(と考える)法における人間の扱い方と、ビジネス偏重のデザインコミュニティのあり方についての提言を行った。
ビジネスの現場では、行動経済学やナッジ理論、UXデザインの手法を活用し、人間を「限定合理的(Bounded Rationality)」——すなわち、感情や選択肢の提示のされ方に影響される不完全な存在——として捉えている。一方、法律の仕組みはいまだに「完全に合理的な経済人(Rational Economic Agents)」——すべての情報を理解し、自ら最適な判断ができる存在——という前提に基づいて構築されている。この前提の非対称性こそが、ユーザーに不利益をもたらす大きな要因となっているという問題提起である。
この課題に対するアプローチの一つとして、Creative Commons(CC)の情報設計を取り上げた。CCでは、法律専門家・一般ユーザー・機械それぞれに向けた三層構造を採用し、異なる理解レベルに応じて情報が整理されており、このように対象となるユーザーに合わせて情報の構造や提示方法を変えることで、情報の非対称性を緩和できるのではないかと提案した。
ポスターセッション当日は、参加者とともに、他にどのようなアプローチがあり得るかについても活発なディスカッションが行われ、議論の中では、「Wikipediaが採用する“シンプル・イングリッシュ”(誰にでも理解しやすい表現)」や、「個人のプライバシーとデータ保護を強化する法律(GDPR)」など、さまざまな知見が共有された。また、こうした課題意識に対して多くの参加者から共感を得ることができ、今後の実践や議論の出発点となるような貴重な対話の場となったのではないだろうか。

ポスターセッションで賑わう会場。

発表に使用したポスター
カンファレンスに参加して
情報に対する責任(川)
今回のカンファレンスを通じて、私が最も考えさせられたのは、「情報に対してどのように責任を持つか」ということでした。
情報は、ただ集めて使えばいいものではありません。それは、常に動き、時に失われる“流動的な存在”です。AIの生成物やSNSでの拡散を見ればわかるように、情報は誰かに伝わった瞬間から別の文脈を帯びていきます。また、サービスの終了によって、かつて有用だった情報が簡単にアクセスできなくなるという現実もあります。このような変化の激しい情報環境のなかで、私たちは「情報がどのようなフェーズを経て設計・流通しているのか」を理解し、それぞれの段階で注意を払うべきことがあると感じました。
とくに印象的だったのは、「AIにとっての情報設計も必要である」という視点です。これまで私たちは人間のために情報の構造を設計してきましたが、AIもまた情報を学び、処理する主体となりつつあります。そのAIに与える情報が偏っていたり、構造が整理されていなかったりすれば、出力される内容もまた不正確になってしまう。つまり、AIが「何を学ぶか」も人間側の情報設計にかかっているのです。
一方で、AIの進化は私たちの想像を超えるスピードで進んでいます。「AIのために情報設計をしよう」と私たちが考えるその瞬間にも、AIはすでに次の段階へと進んでいるかもしれません。この非対称なスピード感は、「人間がAIを完全に管理できる」という前提を揺るがすものです。だからこそ、私たちはすべてをコントロールしようとするのではなく、変化と予測不能性を前提とした柔軟な設計の姿勢が求められているのだと感じました。
情報は、ある意味で“生き物”のようです。技術や環境の影響を受けながら絶えず変化し、再解釈され、時に姿を消していく。だからこそ私たちは、自分が今どのフェーズにいて、どんな情報を扱っているのかを冷静に見極め、意図しない影響を与えないような責任ある態度で向き合う必要があります。
今再び語られることの重要性(野津)
この3日間は、情報アーキテクチャ(IA)という言葉の射程がいかに多様な領域に広がっているのかという実感とともに過ごした日々でした。今回が初参加だった私にとって、登壇者たちの議論の広がりはもちろんのこと、いくつか繰り返し語られたキーワードがとりわけ印象に残っています。
ひとつは、“Gardening(庭を育てること)”です。完成された構造を一度きりで設計するのではなく、変化し続ける状況に寄り添いながら、継続的に手をかけていく。そのような意味を込めて、主にストラテジックデザインの文脈で数年前から語られてきたメタファーですが、今回のカンファレンスでは、世界の不確実性が増す今だからこそ「庭師のように考える」ことの重要性があらためて強調されていたように思います。
もうひとつは、“Narrative(物語)”、あるいは“Storytelling(語り)”。これは、情報を階層的に構造化するだけでなく、ストーリーを軸に情報を設計するというアプローチです。複数のスピーカーが、ユーザーの体験や解釈のプロセスに寄り添う重要性を語っていたのが印象的でした。設計とは、単に情報を整える作業ではなく、受け手の理解や行動を支える「語りのフレーム」を生み出す営みでもある——そんな視点が、今後ますます不可欠になっていくと感じています。
どちらのキーワードにも共通するのは、それ自体が目新しいものではないという点です。だからこそ、2025年のいま再び語られ、共感を集めていることに意味があるのではないでしょうか。「情報があふれる」という表現がもはや陳腐に聞こえる現代において、IAが果たすべき役割とは何か。正解を提示する構造を設計するのではなく、情報を時間のなかで育て、関わる人々が意味を見出していけるような「場」をいかに築くか。これらは、私自身がこれからも向き合い続けたい問いです。
