新人デザイナーの可能性をひらく書籍対談(1) 『どもる体』編

コンセントの代表取締役社長の長谷川敦士と新卒1年目社員が1冊の本をテーマに対談。立場も年代も経験も異なる2人が、本から得られた気付きを通して、それぞれのデザイン観やデザイン への思いを語り合います。今回、長谷川と対談したのは嶋田幸乃(デザイナー・2021年度新卒入社)。取り上げる書籍は伊藤亜紗著『どもる体』(2018.6 医学書院)です。

画像:記事タイトル「書籍対談」と、対談した長谷川と嶋田の写真。

嶋田 幸乃(写真左)

デザイナー
学校法人専門学校東洋美術学校クリエイティブデザイン科高度コミュニケーションデザイン専攻卒業。在学中はタイポグラフィを基盤とし、紙媒体からウェブ、UXやUIなどさまざまな分野を幅広く学ぶ。2021年、コンセントに新卒入社。主にアプリケーションの開発・改善に携わる。

長谷川 敦士(写真右)

代表取締役社長/インフォメーションアーキテクト
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。「わかりやすさのデザイン」であるインフォメーションアーキテクチャ分野の第一人者。2002年に株式会社コンセントを設立。企業ウェブサイトの設計やサービス開発などを通じて、デザインの社会活用、デザイン自体の可能性の探索を行っている。

書籍紹介

画像:書籍表紙
『どもる体』伊藤亜紗著|2018年6月刊行|医学書院

『どもる体』オフィシャルページ

多くの人にとって「思ったらすぐに出るもの」と捉えられがちな「言葉」ですが、言葉の出し方が一筋縄ではいかない「吃音」という症状があります。吃音は「たたたたたたまご」と最初の音を繰り返してしまったり(連発)、「……」と言葉が出てこなかったり(難発)というような症状が見られます。本書の中では、吃音の症状について次のように述べられています。

「自分のものであるはずの体が、まるで自分のものでないかのように、勝手にしゃべり始める。スムーズにしゃべっていたと思ったら、不意に頑としてこちらの意図を受け付けなくなる。」
「つまり吃音は、『言葉がどもっているかどうか』では、なかなか片付かない障害なのです。あくまで『体がどもっているか』に焦点を当てたい。」

出典:p.11「序章 身体論として『どもる』コントロールを外れた体」9行目
P.20「序章 身体論としての『どもる』『どもる言葉』でなく『どもる体』」15行目

この論述をもとに吃音の本質を考えると、それは思考と行動の連結がうまくコントロールできないということ。さらに言い換えれば言葉が詰まっているのではなく体が詰まっている状態だと捉えることができます。

『どもる体』では8人の吃音当事者へのインタビューを通して、吃音とはどのような現象なのか、当事者の中ではいったい何が起こっているのかが分析されています。吃音に限らず私たちの体には意識的にコントロールできない領域がたくさんあります。「吃音」がきっかけとなってあらわになる、「言葉」の後ろに隠れていた「体」。自分のもののようで自分のものではない体を抱える私たちが、自分の「意思」や「行動」について考えるきっかけになる1冊です。

未知にひるまない姿勢を身に付けるために

———『どもる体』を新卒社員におすすめするに至った経緯を教えてください。

長谷川:普段皆さんが読まないような本を、あえて推薦するようにしています。
デザインの仕事は、自分の領域を広げ続けていくことが必要な分野です。何か1つのことに特化してインプットするよりも、いろいろなことをインプットしておくことで応用が利く場面が多々あるんですよね。なので、皆さんが入社前からもともとできることへの期待はもちろんありますが、そうではないことについても見聞を広めて、可能性を広げてほしいと思っています。

加えて、これまで気付かなかった視点をもっておくと、皆さんが未知のものに触れたときにひるまないで済むかもしれない。あるいは、自ら未知のものを取り込んでいけるようになるのではないかという狙いもあります。

嶋田:私自身「いろいろなことをインプットしておく」ということは、学生の頃から意識しているつもりです。でも、すんなり入ってくる情報はどうしても自分の興味があるものに偏ってしまうとも思います。コンセントに入社して本配属になってから、「デザインがうまくなりたい!」という思いがより強くなりました。それ故、得る情報が「デザイン関連」に偏っていくジレンマがあり……。今回、普段触れる機会のない本を読むことができて良かったです。

これからのデザイナーに必要な「二元論的ではない」視点

長谷川:「二元論的な視点からいかにして脱するか」を考えるための、良いきっかけになったのではないでしょうか。『どもる体』では「障害」と「健常」のような、単純な区別でものを捉えない視点を提示しています。

「二元論的ではない」考え方は、さまざまなことに当てはめることができます。そして、これからのデザイナーに必要な視点になるのではないかと僕は思います。
というのも、今後社会のさまざまな課題に対して、デザイナーの数が足りない時代がやってくると考えているからです。そこで必要になるのが、デザイナーに限らず、全ての人がデザインを用いて課題に対処していく「Design by People」という考え方です。

その考え方を世の中に広めていくために、まずは僕たちデザイナーが「デザイナー」と「非デザイナー」を区別して捉える「二元論的な視点」から抜け出すことが必要だと思うんですね。

嶋田:本の中でも、「難発」が「連発」を避けようとするあまり起こる症状であること、そしてその「難発」に悩んでいる方がいらっしゃると紹介されていました。ある見方をすれば対処法だとしても、別の見方をすれば乗り越えるべき症状である……。というようなことも書かれていて、物事にはいろいろな側面があることや、一概に0か100かを判断してそれ以外の情報を切り捨てることの恐ろしさを再確認しました。

参考:伊藤亜紗著『どもる体』P.99「第3章『難発−緊張する体』連発から難発へのメカニズム」、
P.100「第3章『難発−緊張する体 』対処法としての症状」

写真:対談中の嶋田の様子。

長谷川:ちなみに嶋田さんは吃音を身近で感じたことはありましたか?

嶋田:この本を読み始めたときは吃音がどのような症状なのかがわからず、YouTubeで調べました。

長谷川:たぶん気付かないだけで、嶋田さんの周りにも吃音症の人はいっぱいいると思いますよ。何を隠そう僕が吃音症なんですね。言葉が出ないタイプの吃音症です。なのでこの本は、僕自身の当事者性のある経験に紐づいているところもあります。

イメージと具現化の差を体感する経験

長谷川:せっかくなので考えてみたいのが「何か言いたいと思うけれども言えない」という状況についてです。普段われわれは、発しようと思う言葉をそこまで意識しないと思うんですよね。

嶋田:うんうん。

長谷川:嶋田さんは今「うん」とうなずいてくれましたが、「うん」と思って話すのではなく、相手の言葉と呼応するような形で、頭の中でフレーズを作るよりも先に無意識に喋っていると思います。

一方、外国語のような使い慣れていない言語で話すとき、頭の中で「何を言うか」を強く思っているのにもかかわらず、うまく言葉にできないことがあると思います。翻訳する過程が挟まることで、頭の中の内容を言葉にするまでに時間がかかっている状態です。

吃音はこれと似ていて、喋りたいことが思い浮かんでいるのに、それを言語化する身体性のところが切り離されているという現象が起きているんですね。母国語を喋りながらも、「喋る内容」と「発せられる言葉」との距離を感じることができる体験だと、僕は思っています。

そういった「考えるイメージと表現されたものの差」は、デザインを考える上でも似たようなところがあると、この本を読んで思いました。例えば、「こういう雰囲気のデザインにしたい」とイメージはできているけど、うまく具現化できない。その場合、それは果たして技術が足りないからなのか、あるいはそもそももっているイメージ自体が脆弱なのか、というような具合です。

「シニフィエ(概念)」はどこから生まれるか

長谷川:それから、これは難しい言葉になるのでこの本の範疇を超えますが、ソシュールという言語学者の有名な言葉で「シニフィエ」と「シニフィアン」というものがあります。
例えば今、僕が手に持っているものは消しゴムという言葉で表現されますが、これが消しゴムと言われる理由はありません。これが消しゴムという言葉で表現されるすごい理由があるならば、たぶん世界中の言葉でこれは「消しゴム」に近い表現がされるわけです。

写真:消しゴムを持ちながら話す長谷川。

けれど消しゴムは、日本語では「ものを消せるゴムでできたもの」だから消しゴムだし、英語では消すという概念だけが抽出されて「eraser」だったりする。
そのように消しゴムという文字や音声を「シニフィアン」、シニフィアンによって表されたりする消しゴムのイメージや概念を「シニフィエ」として、区別できるのではないか……。という問いかけをソシュールはしているんです。

われわれがデザインで「何もないところから新しいものをつくる」ようなことをやっているとき、ソシュールの言うところの「シニフィエ」を僕らはどこから生み出しているのか。個人的にはそのあたりも、この本を読んでイメージが広がっていったところでした。

イラスト:長谷川が話した「シニフィエ」と「シニフィアン」の説明。

アウトプットに潜む「暗黙的な引用」

嶋田:今のお話で、学生の頃に悩んでいたことを思い出しました。デザインで「ゼロから生み出す」というようなことを言われるたびに「自分はゼロから生み出せていないな。自分がつくるものはつぎはぎだな」と思っていたんです。
「頭の中でフレーズをつくるよりも先にしゃべっている状態」と同じように、才能がある人は「頭の中でイメージを描くよりも先に手が動いてつくることができるのではないか」という印象があったからだと思います。

対して自分は、1つ何かをイメージするにも、アウトプットするにも、たくさんのものを見なければならない。いろいろなものを参考にして、影響を受けてつくったものは本当に自分がつくったものと言えるのか、ゼロから生み出せる人は本当にいるのか。不思議に思っていました。

長谷川:全くその通りだと思います。会話もよほどのことがない限り、相手の言葉を何らかの形で継いで喋るように、何か創作するものも周りの文脈に寄ってくる。おそらく暗黙的な引用もたくさんあると思います。
それは小説を読んで自分が感じたことかもしれないし、あるいは友達と会話したことかもしれない。もっと言うと、生まれ育った環境や日本の文化がつくり出す規範みたいなものにとらわれてしまっているかもしれない。それが自分のアウトプットに結実する。「ゼロからつくることはない」というのはその通りだと思うんですよね。その話は、自分の中でどう整理していますか。

嶋田:昔のデザイナーや建築家について研究するとき、対象の人物一人ではなく、時代背景や周りにいる人のことも考慮することで、その人物の考えていたことを推測すると思います。でも時代による共通性や流れがあったとして、当人がそれらに影響を受けていることに気付くのは難しいはずです。
そういったことを考えていくうちに、自分が「これは新しい! これは尖っている!」というものをつくったとしても、未来の人から見たら2020年代の流れで必然的に生まれた一部分でしかないのではないかと思うようになりました。その時代にあるさまざまなものに、人間は必ず影響を受けていると。

長谷川:そうだよね。人間のつくったものは尖っていると言っても、宇宙人から見たらたかが知れているみたいなことはあるでしょうね。

写真:対談中の長谷川の様子。

1つの思考システム形成として対話を捉える

嶋田:言語という「決められた道具」を使って考えたり、ものをつくったりしている時点で、われわれはコントロールされているんですね。自由そうで自由ではないという感覚はとても面白いと思いました。

長谷川:そうそう。そもそも言葉は誰が言わせているのかという話なんです。僕らは自分の意思で言葉を発していると思っていますが、実は文脈や周りとの関係性が自分の言葉を発させているかもしれない。例えば自分が言葉を発してみて、後から「自分はこんなこと言うんだ」と気が付くこともあるわけです。自分の意に全く反していることが起こるわけではないと思うけれど、お互いのリアクションに対応して自分も変わっていくみたいなことをするうちに、新しい発想が生まれることもあります。

会話は、一人ひとりが独立したコンピューターを介して通信をしているようなメタファーとして捉えがちです。しかし今この瞬間において、「この場にいる人で1つの思考システムを形成している」という捉え方をするのは、ものの見方として面白いと思うんです。

デザイナーとしてすべきは「つくる」だけではなく「ひらく」

嶋田:自分がつくったものだけでなく、発している言葉すら周りの環境に影響されていることを思うと、自分の芯みたいなものはどこにあるのか、自分を自分たらしめているものは何なのか、という点に興味が出てきました。

長谷川:関係性の中で生きる我々にとって、「自分の意思や我を出す」ということ自体がそもそもどういうことなのか、「自由意思」を本当に自分がもっているのか、ということについてはここ最近問い直されています。
特にわれわれはデザイナーとしてアウトプットする立場にいて、一般的には「デザイナーが生み出す」「生み出す才能がある」というような言い方をされることもあります。だからこそ、真摯に周りから受ける影響や、自分と環境との関係性を捉えた上でものを生み出していかなくてはいけないと思うんですね。
それから、デザイナー自身もいったん謙虚な立場で相手との関係性を捉えて話を聞くと、発想が広がると思います。今「オープンイノベーション」という言い方がよくされますが、1人で考えるのではなく、多くの人に「ひらく」ことによって、むしろ全体のドライブ力が上がるんじゃないでしょうか。

写真:対談中の長谷川と嶋田の様子。

対談を終えて

デザインをする上では、どうしてもユーザーだけに目を向けがちですが、つくり手である自分自身にも目を向けるのが大切なのだと知ることができました。特に今回の対談で、自分の身体性やおかれている状況、発想の過程を知ることが、完成品に責任をもつことや真摯なものづくりにつながると気が付いたことが印象深かったです。一方で、『どもる体』を読んで初めて知ったことが多かったように、自分の「知らないことを知ること」ほど難しいことはないと痛感しました。「知らないことを知る」には自分の思考の外にあるものに気が付くという、1人では到底できそうにない過程が必要になります。その過程を経る方法の1つに「他人がおすすめする本を読んでみること」があるのだと感じました。他者の視点を通して視野を広げる意識をもち続け、これからの自身のものづくりにつなげていきたいです。(嶋田)

次におすすめの書籍紹介

画像:書籍表紙
『弱いロボット』岡田美智男著|2012年9月刊行|医学書院

『弱いロボット』オフィシャルページ

ロボットを用いてコミュニケーションの原理を研究する学者の思考や実験の過程を追う書籍です。この本で紹介されているロボットは「ゴミ捨てロボット」なのにもかかわらず、ゴミを発見してもその周りでモジモジすることしかできません。しかしその様子を見た人々はいたたまれなくなり、ロボットの代わりにゴミを拾ってくれるそうです。つくる側でデザインを完結させるだけでなく、人の関係性を引き出すことによって生まれるデザインもあり得るということを考えさせてくれる本です。(長谷川)

画像:書籍表紙
『中動態の世界』 國分功一郎著|2017年4月刊行|医学書院

『中動態の世界』オフィシャルページ

嶋田さんの関心にもなった自由意思に関する書籍です。能動態・受動態は人間がそもそももっている概念ではなく、能動態・受動態という言葉ができたために生まれた概念、まさに言葉が作った思想・態度ではないかといわれています。能動態は自分で自分をコントロールしているという概念ではありますが、対談でもあったように自分でも知らないうちに周りの影響を受けているということがあります。能動態・受動態では言い表すことができない「状況がそうさせている状態=中動態」がこの本のキーワードです。(長谷川)

コンセントは、企業と伴走し活動を支えるデザイン会社です。
事業開発やコーポレートコミュニケーション支援、クリエイティブ開発を、戦略から実行まで一貫してお手伝いします。

ページの先頭に戻る